命あらばまた他日。

ひきこもりの就活やら何やら。

負の系譜

家系図を作って、この人はこういう性格でこういう病気で亡くなって…

この人はここで離婚して…などと書き込んでいくと

特定の病気や嗜癖が繰り返している事がわかるようだ。

 

不幸が続く家は、不幸が続いたりする。

 

どこかで断ち切らないと、不幸はループしていく事を

子供の頃には知っていたように思う。

自分の遺伝子を残さないと決めていた。

 

人間とは不思議なもので、そういう匂いを感じ取るのか

中高生の頃はそういう子とばかり友達になった。

全く性格が違うのに何故と思っていたけれど、

そこで惹かれていたのだと今ではわかる。

 

その子達は遺伝子を残さない代わりに

自分が一人でも生きて行ける道を決めていた。

私にもそれができていたら、と今でも思う。

私は何だかぼんやりと、ただ遺伝子は残したくないとだけ考えていた。

 

小さい頃から明るい恋愛など想像もつかなくて、

好意を寄せられては嫌われる努力をし告白されては断った。

今思えば適当に遊んでおけばよかったのに…とも思うけれど

それができない理由が複雑にいくつも転がっていたのだから仕方がない。

 

何が書きたかったのか、わからなくなってきたけれども

何だか自分でもどうしようもない状態は

繰り返されて、なるべくしてなっている気もする。

 

私の父母は、あまり可愛がられずに育った。

褒められたり、そういった記憶が一切ないらしい。

どちらも家族の人数が多くて、自分の父母でなくとも

コミュニケーションを取る相手がいたのでどうにか育ってきたのだろう。

※現代の色々な問題は核家族化やら少子化やらによる事が

やはり大きいのではと思う…。

 

辿ってみれば、父母の父母もそういう育ち方をしている。

(恐らく4人ともそうだ)

父方の祖父に私は懐いたが、そのきっかけは、

祖父の背中があまりにも寂しそうだったから、というのをよく覚えている。

「おじいちゃん」と背中に抱きつくと、恥ずかしそうにしていた。

私は自分の持つ寂しさを祖父で埋めた。

祖父も似たような思いだったのではないだろうか。

何かを埋めたのだと思う。

それだけの関係では寂しすぎるので、あまり考えないようにしているが…。

私はおじいちゃんが大好きだった、という記憶だけ残していければよかったのに。

 

どういう訳か、繰り返すし、似てしまうものなのだなと実感している。

人のせいにしているつもりではないのだけど、

何だか不思議と嫌な事は繰り返す。

 

というような事を今日、兄弟が仕事先から逃亡したという電話を受けて

延々考えていました…。

自己肯定感の低さは兄弟も同じように抱えているんだと思います。

そういう生き方をしてきた。

 

どうしよう。

自分の事だけでも精一杯なのに。