命あらばまた他日。

ひきこもりの就活やら何やら。

嫌な事を消し去る能力は人一倍

自分にとって嫌な事を記憶から消している。

すとんと記憶が抜け落ちる。

人の名前だったり、会社名だったり様々だ。

 

日常よくある事でもあるだろうけど、何だか病的だ。

”いつまでもくよくよしていないで、がんばろう”

という前向きな忘れ方ではなく

”えーと、そんなつらい事なんてありませんでした…”

というレベルで消し去っている。

忘れる事で精神の安定を保っている、と主治医は言っていた。

これは子供の頃に覚えた生きる術だったのかもしれない。

ただこれでは、何が悪かったのかもわからなくなる。

次に同じような事が起きたら

どう対処すればいいのか考える事ができない。

 

数年前から手帳に日記を付け始めた。

特に診察の時に主治医と何を話したか、どう感じたかなどを

記録するようにしている。

その時、つらいと感じたなら尚更、忘れないように

喫茶店などに駆け込んで書き留める。

つらいと感じた事をすぐに忘れようとするからだ。

 

モノとして残るが、あまり読み返す事はなかった。

しかし、今どう生きてきたかを洗い出す為に読み返している。

 

主治医はとうにACだと見抜いていたと思うが

ある事をきっかけにあなたはACだと告げられたのが約1年前。

以前もどこかの記事に書いたけれど

”この件は完全に封印しなければならない…”

とその時、その事実を消しにかかっている。

そしてその後、どう生活をしてきたか…を読んでみると

それが今現在、焼き直しのように繰り返されている事にぞっとした。

どう人に声をかけられ、どう受け止めたかまで似ている。

 

今、過去と違うのはACである自分を、

初めから消しにかかろうとはしていない事だ。

ただ消しにかかっている自分も確かに存在するので頼りない。

そちらの自分が大きくなれば、また同じ事をずっと繰り返すだろう。

 

少しだけ世の中に踏み出そうとした必要な焦りを大事にしたい。

自分を変えたいと思った気持ちを忘れないでほしい。

それはどうか消し去らないでほしい。